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             黒字=歴史的事件 赤字=宗教的 に重要な事柄 緑字=史実というよりは伝説に近い出来事
    ヘ ブライ
カナン及び オリエント諸地域
   メソ ポタミア
ペルシア 


































































紀元前1800年頃・放牧していたセム諸部族がカナンに半定 住。この中には、ユダヤ教の始祖・アブラハムの姿もあったという。
→アブラハムの子イサクの子であるヤコブ、神と格闘して「神と 戦うもの=イスラエル」の名を得る。このイスラエルの12人の子、そしてその子孫がイスラエル12部族であるとされる。
















紀元前16世紀頃・ヤコブ(イスラエル)の息子でヘブライの族 長ヨセフ、ヒクソス(エジプトの余所者という意)の支配していたエジプトへ定住。














紀元前1580年・ヒクソスが倒されたことにより、エジプトが再び王朝制に戻る。そのため、ヨセフ族(ヘブライの人々)が奴隷とされる時代に。
●エジプト第18王朝イクナートン王の唯一神アトン信仰が後の ヤハウェの唯一神化に影響を与えたとされる説がある。

















紀元前13世紀頃・モーセを中心としたヘブライの人々がエジプトを脱出する。
●モーセの十戒、シナイ山の神託を得る
以後、40年間放浪を続けた後にカナンへ移住。
→モーセの後継者ヨシュア、カナンに散らばっていたイスラエル諸部族をまとめてカナンを征服。カナン人(フェニキア人)や、紀元前12世紀頃より移住して きたペリシテ人等との争い。
●バアル信仰をはじめとするカナンの信仰がヘブライの人々の信 仰形態に多大な影響を与える。

ヨシュアの時代の後、ヤハウェによって任命されたとされる士師(軍事と裁判の最高責任者のような存在。王権と比べて安定しなかったらしい)の時代を得て、 最後の士師サムエルによってサウルが王に任命される。
サウルの死後、サムエルに見出されたダビデ王がユダ族をまとめてヘブロンを都に王国を築き、それに対抗してサウルの子イシュバールはマハナイムを都に王国 を築き上げる。7年間の内紛の後、イシュバールが死亡したことで両軍勢は和解する。























紀元前995年頃・ダビデ、エルサレムを都に、イスラエル王国(統一王 国)築く。

紀元前963年・ダビデの子、ソロモンが王となる。

紀元前930年頃・ソロモン王の死とともに政情が不安定化。イスラエル王国は北のイ スラエル王国(北王国)とユダ王国(南王国)に分裂。以後対立が続き、 両国ともに国力が疲弊することになる。




















紀元前721年・アッシリア帝国の侵攻によって、イスラエル王国の都サマリア陥落。イスラエル王国滅亡。
●この際に離散したイスラエル人たちが「失われた十部族」として、後のトンデモに多大な影響を与える。また、サマリアに残ったイスラエル人と移民との間に 生まれたサマリア人たちは、移民たちの信仰とユダヤ教の混合を図った。

















紀元前612年・アッシリアが新バビロニアに滅ぼされ、アッシリアの属国として存続していたユダ王国、旧北イスラエル王国の領土が解放されたことを受けて ヨシヤ王が国内の宗教改革を行う。
●これが「申命記革命」。この中でヨシヤ王はバアルの像を打ち 壊しながら異教の徹底的な否定を宣言する。―つまり、この以前までは、バアル・地母神信仰と の混合、とまではいかなくとも、少なくとも影響を受けあうことはあったということである。

紀元前597年・ネブカドネザル王率いる新バビロニアによる第一次バビロン捕囚。ヨヤキン王をはじめとして、1万人ほどのイスラエル人が捕虜として連行さ れる。アッシリアに続き、ユダ王国は新バビロニアの属国となる。


紀元前586年・ネブカドネザル王率いる新バビロニアによる第二次バビロン捕囚。エ ルサレム陥落。ユダ王国は崩壊する。
→バビロン捕囚は50年に及んだが、捕囚されたヘブライの人々の生活はそこまで苦しいものではなかった。
●そんな中、第2イザヤと呼ばれる無名の宗教家らがユダヤ教を 改革。ここにきてヤ ハ ウェは「私は始まりにして終わりである/私をおいて他に神はない」―とされる唯一の神となり、ヘブライの人々の宗教は、名実ともに一神教であるユダヤ教と して完成した。
現世に顕現した神との対話こそなかったものの、これはシナイ山 の契約に次ぐ、ヘブライの人々とヤハウェの間に結ばれた契約であった。契約の証ともいえる割 礼、安息日の遵守が重視されるようになるのもこの頃。
こうした宗教改革はおそらくバビロン捕囚という屈辱的な現状、 民族が宗教活動を行える程度には安定した生活、そして一神教としては先輩となるゾロアスター 教の影響があったとされる。
また、旧約聖書が記され始めたのも、おそらくこのバビロン捕囚 の時期だとされる。
さらに、「天使」の概念が形成されつつあるのもこの頃 から。それ以 前、たとえば旧約聖書の中でも最も成立年代の古い(紀元前7〜6世紀頃)とされる「モーセ五書」において現れる神の使いはいわゆる天使ではなくヤハウェ自 身の分霊である。おそらく、唯一の神を置き、その神によって創造された神とは別個の存在を配下とする、という形式はやはりゾロアスター教の影響を受けてい ると思われる。それ は悪魔の概念にしても同様であり、唯一の神にして 万物の創造者となったヤハウェにとってはかっての敵対者・バアルや地母神らは、「神」であってはならなくなり、やはりゾロアスター教の「神の被造物である 悪」という考え方を取り入れていくことになる(ただし、旧約聖書の時点ではこの考え方はまだ曖昧で、バアルやアスタルテが明らかにヤハウェ同様に「神」で あるかのように読める場面や、ヤハウェよりも上位の存在―つまり、カナンのエル―がいるかのように読めてしまう場面もある。プロパガンダ的要素よりも歴史 的記述を重要視した結果であろうが、同時に悪魔という概念が完成していなかった片鱗であるとも言えるだろう)


紀元前538年・この前年に新バビロニアを滅亡させたペルシア王キュロス、ヘブライ の人々を解放する。しかし、バビロニアでの生活を捨ててエルサレムに 戻ったユダヤ人は全体の2,3割程度だったという。
●この出来事ゆえに、キュロス2世はゾロアスター教の信徒で あったにもかかわらずユダヤ教徒から賞賛された。前述の第2イザヤの預言の中にも、キュロス2 世によって捕囚が終わるという一節がある(この「預言」自体は第2イザヤの言葉の説得力を高めるための後世の創作だろうが)。




紀元前515年・ペルシア王ダレイオス1世治下でエルサレム神殿(第2エルサレム神殿)が再建される。








































紀元前458年・二度目となるバビロンからの集団帰還。
●この頃、ユダヤ教の形式が固められる。これが現代までのユダ ヤ 教およびユダヤ文化に直結している。









紀元前331年・アレクサンドロス大王率いるマケドニア王国がアケメネス朝ペルシアを滅ぼし、ユダヤの人々もヘレニズム国家の支配下に入る。
●宗教の自由は守られたが、ユダヤ人たちは独自にヘレニズム文 化の影響を受けていった。

→アレクサンドロス大王の死後、オリエント地方の政情は安定せず、ユダヤ人たちはプトレマイオス朝、セレウコス朝シリア王国な どの争いに巻き込まれた。
●この時代、紀元前3世紀頃、エジプトの都市アレクサンドリア において聖書がギリシャ語に翻訳される(七十人訳聖書)。ヘブライ語が読めないユダヤ人や改 宗してきたユダヤ人が存在したため。








紀元前198年・セレウコス朝、ユダヤ地方を含む地域の支配権を勝ち取る。
●紀元前175〜紀元前163年の間セレウコス朝王の在位に就いていたアンティオコス4世は、オリエント地方のヘレニズム化を進めており、ユダヤ人たち は、エルサレム神殿において異教を崇拝することなどを強要されて、彼に反発を覚えていた。

紀元前167年・祭司マタティアをリーダーとして反乱が起こる。マカバイ戦争の始ま り。

紀元前164年・エルサレム神殿奪回。

紀元前143年・指導者ヨナタン、シモン、セレウコス朝の支配を脱したユダヤ人によ る独立国家ハスモン朝を築く。マカバイ戦争終結。
●シモンの息子でシモンの死後大祭司、首長となったヨハネ・ヒルカノス1世(在位紀元前134年〜紀元前104年)は軍事的才能と傭兵の力によって領土を 拡大。こうした彼のやり方に伝統を重んじるユダヤ人も存在した。
結果、当時の権力者層によって支持され、ヘレニズム文化の影響 を受けることに寛容だった(そのためか、彼らは霊魂の不滅や天使の存在を否定していた)サド カイ派、貧民層を含む民衆に支持さていたファリサイ派、 そしてそこから同期的発生(共にそのルーツをセレコウス朝への反感に求 めることが出来る)、または発展して誕生した、さらにユダヤ教敬虔主義に基づいた清浄な宗教活動を目指すエッセネ派などの対立が発生した。

紀元前63年・ローマの軍人ポンペイウスが中東へ遠征、セレコウス朝を滅ぼす。その時期、ハスモン朝ではヨハネ・ヒルカノス2世とその弟アリストブロス2 世の間で権力争いが行われており、どちらの勢力もローマの力を借りようとする。
ローマは無能なヒルカノス2世こそ傀儡とするのふさわしいと考え、支援。アリストブロス2世は敗北する。

紀元前43年〜・ローマの属州シリアの一部として、ユダヤ人たちはある程度の自治を得て安定していたが、カエサルの暗殺の混乱に乗じて、当時のユダヤの事 実上の支配者であったアンティパトロス(かってのヒルカノス2世の部下)が殺害される。代わって息子のヘロデが実権を握ったが、そんな中、アリストブロス 2世の息子アンティゴノスがクーデターを謀り、ヒルカノス2世とヘロデの兄パサエロスを捕らえるという事件が発生する。
ヘロデは逃亡し、ローマに救援を求める。ローマはヘロデにユダヤ王の称号を与え、エルサレムに帰還させる。ヘロデはただちにアンティゴノスを打ち破ると紀 元前37年にはヘロデは大王を名乗り、ハスモン朝は終わる。ヘロデ大王はヒルカノス2世の孫マリアンメ1世を妻とするなど、残ったハスモン 朝の血統を利用 して自身の正当性を強調。そして、不要となったハスモン朝の人々を次々に暗殺していった。

紀元前4年・ヘロデ大王が没すると、その息子たちによって領土が分割された。ローマは彼らにユダヤ王の称号を与えなかった。ユダヤにはローマの総督が置か れ、政治的権力を握られることになった。
この頃、ガリラヤの寒村ナザレにイエス(イエ ス・キリスト)生まれる。

紀元66年・ユダヤに政治的権威を認めなかったローマに対して、ユダヤ人たちはついに反乱を起こす。第一次ユダヤ戦争の始まり。

紀元70年・ローマ軍がエルサレムを陥落。
●神殿も崩壊し、神殿の権威に拠っていたサドカイ派は消滅。





紀元132年・バル・コクバ率いるユダヤ人たちによる第二次ユダヤ戦争。 こうした反乱の勃発に対して、ローマはユダヤ人たちを撃退すると共にその地方をユ ダヤ人の忌み嫌っていたペリシテ人の名前を取ってパレスチナと名付け、ユダヤ人たちを離散させた。
ディアスポラの時代の始まりである。







































紀元前2500年頃・カナン人(フェニキア人)による都市国家の形成
●メソポタミアの影響を受けてウガリット神話、および祭儀が形 作られた。
・農耕、豊穣の神による王権神授(アヌ→エル。エンリル→バア ル)
・地母神信仰(イナンナ・イシュタル→アシェラト・アスタル テ、アナトなど)
















紀元前2000年頃・ヒッタイト人の登場。アナトリア半島への侵略。紀元前1680年頃には古ヒッタイト帝国が成立した。
人類史上最も早い段階で鉄器を軍隊で使用していたことで知られるヒッタイト人。その宗教は、太陽崇拝を中心とするものだが、同時に彼らが征服したアナトリアの原住民 ハッティ人の影響を受けており、それら の神々を祀ることも多かった。独自の主神は名称不明の太陽女神。また、この地域の信仰の常として、メソポタミアの神々も神話に登場し、重要な役割を果たし てい る。
有名な神話は「テリピヌ神話」、「竜神イルルヤンカシュ」な ど。














紀元前16世紀頃・ウガリット、アッシリアなどを征服してミタンニ王国成立。
●この王国を形成したフリ人はオリエントに侵入したアーリア人の一部族だと考えられる。故に、彼らの信仰した神はヴァルナ、ミスラなどであった。































紀元前1450年頃・ヒッタイト新王国成立。


紀元前1300年頃・ヒッタイトの攻撃によってミタンニ王国疲弊。以後はヒッタイトの属国となる。
●ミタンニを構成していたフリ人の信仰はヒッタイトにも影響を 与え、天候神テシュブ、その妻ヘパトなどがヒッタイトの神話に大きく影響を与える。


紀 元前13世紀頃・エジプトを脱出してきたヘブライ人がカナンに到着。現地のカナン人と対立、混合、混血などする。

紀元前1300年頃・ペリシテ人(「海の民」の一部?)がカナンに侵入。ヘブライ人などと対立した。
●ペリシテ人は旧約聖書の「サムソンとデリラ」「ダビデとゴリ アテ」のエピソードなどで有名だが、彼らの信仰していた神についての記述は、旧約聖書以外には資料がない。それによれば、彼らの信仰していた神はダゴン (ペリシテ人独自の神として有名だが、実際には紀元前3000〜紀元前2000年頃にユーフラテス川付近で信仰が発生、その後もアッカド王朝のサルゴンや バビロニアの「エヌマ・エリシュ」におけるアヌと同列とされる記述などで最高神扱いされている)とバアル・ゼブブ(ゼペル)であったという。これが事実か はわからないが、カナンの信仰の影響を受けていた可能性は高いだろう。

紀元前1200年頃・ウガリットが「海の民」に滅ぼされる。
同じ頃、ゴルディアスを首都としてフリギュア(プリギュア)王国建国(フリギュア人も「海の民」ではないかとされる民族の一)

紀元前1190年頃・新ヒッタイト帝国が「海の民」に滅ぼされる。








紀元前814年頃・フェニキア人(カナン人)、北アフリカに海外植民地、カルタゴを拓く。
●カルタゴはフェニキア人の植民地なので、その神もやはりカナ ンの神々をほぼそのまま受け継いでいる。主な神はバアル・エシュモン、バアル・ハモンなど。また、この都市の神とされたメルカルトは、バアル神であると同 時に、フェニキアにおけるギリシア神話のヘラクレスでもあった。
カルタゴ独自の神としては、豊穣の女神タニト(ギリシア神話の ヘラ、アルテミスに該当)が有名。



紀元前721年・サルゴン2世率いるアッシリア帝国がオリエントのほぼ全土を支配。
●アッシリアの固有の神としてはなんといっても首都アッシュー ルそのものを擬人化したアッシュル神が挙げられる。アッシリアが国家として形成され始めた紀元前2000年頃から、アッシリアの滅亡まで信仰され続けた神 である。アッシリアの人々は、アッシュルの力を高めるべくアンシャル(アヌの父)やエンリルといった強力な神を習合させていこうとしたが、やはりメソポタ ミアの影響は免れず、サルゴン2世はマルドゥーク神を信仰したという(これに対する反発として、アッシュルの権威を高める宗教運動も起こった)。





紀元前612年・アッシリア滅亡。以後、リディアなどが有力な国家として台頭する。







































































紀元 前547年にリディアがアケメネス朝ペルシアによって滅ぼされる。






















紀 元前9000年頃・ティグリス・ユーフラテス川付近に人が住み始める。

紀元前4500年頃・カンガ人によるウバイド文明期

紀元前3500年頃・シュメール人による都市国家の形成。ウルク期の始まり。
この時代には既に、都市神信仰が成立してい た。そして、その中でも有力な神(例えば、エンリル、イナン ナ)を中心にシュメールの神々は統合されていき、系統、順序などが確立されていった。

紀元前2900〜紀元前2371年・初期王朝時代。ラガシュ、ウンマ、キシュ、ウル、ウルク、シュルッパクなどの都市国家が勃興。それまでの神殿を中心と した政治から王を中心とした軍事国家が形成されるようになり、争いが絶えなかった。
紀元前24世紀頃にウルクの王ルガルザゲシがシュメールを統一するも、新興のサルゴン王率いるアッカド人に滅ぼされる。
●この時代、既にシュメールの神々は確立しており、都市神も定 められていた。ラガシュはニンギルス神、ウンマはウサハラ神、シャラ神など、ウルクはイナンナ女神、シュルッパクはスドゥ神といった具合である。

また、有名なギルガメシュ王はこの時代(紀元前2600年頃) の王であったとされる。


紀元前2334年頃〜紀元前2004年頃・サルゴン王によってアッカド王朝が起こ る。
●アッカドの神々はシュメールの神々と習合、統一化され、現在 知られるメソポタミア神話の主な神々が形成された。

アッカド帝国は、サルゴンの優秀な孫、ナラム・シンの元遠征を繰り返し、領土を拡大したが、ザクロス山脈を下ってきたグティ人 の襲撃を受け崩壊。
そのグティ人も、独立を取り戻したウルクによって滅ぼされ、そのウルク王ウトゥヘガルの部下だったウルナンムがウル第3王朝を起こすが、行き過ぎた官僚制 が原因で内部崩壊を起こし、そこをアモリ人とエラム人の襲撃を受けて崩壊する。
●この頃、現存する最古の叙事詩と呼ばれる「ギルガメッシュ叙 事詩」の原型が出来上がったとされる。
また、余談ではあるが、ユダヤ教の始祖・アブラハムはここで名 前の挙がったウルの出身だともされる。ウルの都市神は月の神シン(ナンナ)であり、ヤハウェのルーツをシン神に求める説は、ここに起因している要素が大き い。

紀元前1792年〜・ウルを滅ぼしたアモリ人とエラム人の争いが続いていたが、アモ リ 人王朝の一つであるバビロニアの王ハンムラビが南北メソポタミア統一を成し遂げる。彼の下でバビロニアはメソポタミア始まって以来の繁栄を 迎えるが、ハンムラビ王が紀元前1750年(諸説ある)に死亡すると、帝国は弱体化していき、紀元前1595年にはヒッタイトによって首都バビロンを攻略 されてしまうことになる。
●バビロニア台頭とともに、小国家都市であったために神として の地位が低かったバビロンの都市神マルドゥークがメソポタミアの新たな主神として君臨。「エヌマ=エリシュ」などのマルドゥークを主神として描く創世神話 も登場し、シュメール・アッカド神話はバビロニア神話として形成しなおされる。
ただし、有名なハンムラビ法典の序がエンリル神に捧げられてい るのを見てもわかるように、単純にそれまでの神々の地位を引き下げたわけではない。

紀元前1595年頃〜紀元前1155年頃・カッシート人による治世の時代。彼 らはバビロニアとの同化政策を進めて保守的な政策を行うとともにエジプト、アッシリア、ヒッタイトといったオリエントの国々と公益を行うなど、平穏な繁栄 をもたらした。また、ヒッタイトがバビロンを陥落させた際に奪われたマルドゥークの像もカッシート人によってバビロンに奪回されている。
しかし、このカッシート王朝もエラム人によって滅ぼされてしまい、この際に奪回したマルドゥーク像もエラム人に奪われてしまう。
●カッシート人はバビロニアの神々の復興と維持に努めたことで 知られる。彼ら独自の神として、主神ハルベ(フリ人も信仰していた神である)などが存在したが、このハルベ神ですらアヌ、エンリルなどに集合されてしまっ たらしい。
数少ない例外が王家の守護神である山の神シュカムナとその配偶者シュマリヤで、そのカッシート独自の信仰は、その王朝が衰退するまで続いたという。
また、この頃、紀元前2000年頃にアモリ人に よってバビロニアにもたらされた学問と書記の神、ナブーがただの陪神からマルドゥークの息子という地位を得ている。





















































紀元前1125年頃〜紀元前1104年頃・イシン第二王朝(バビロン第四王朝)の王ネブカドネザル一世、エラム人からマルドゥーク像を再び奪回する。


















紀元前731年〜紀元前729年・アッシリア帝国の侵攻によってバビロニアが制圧さ れる。アッシリア王ティグレト・ピレセル3世は自らバビロニアの王の座に着く。
●皮肉なことに、このアッシリアによる征服時代にはメソポタミアの歴史に関する多くの貴重な文献が記されており、これが現在のメソポタミア研究に多大な恩 恵をもたらした。「ギルガメシュ叙事詩」にしても、現存するのはこの時代のアッシリア語で書かれた物である。

紀元前721年〜紀元前681年・アッシリアの偉大な王、サルゴン2世の統治する時代。
●また、この頃はバビロニアはアッシリア王がバビロニア王を兼任するか、傀儡の王を置くかされていた。

紀元前668-627年・アッシリア最後の偉大な王、アッシュルバニパルの時代。弟シャマシュ・シュマ・ウキンとの権力争いやエラム人との戦争などで輝か しい勝利を得た彼だが、裏腹にアッシリアの国力は衰えていった。
●アッシュルバニパルは文書収集に熱中した王でもあり、彼は学術書、商業書、一般人の手紙まで、ありとあらゆる文書を集めて、ニネヴェ図書館を作った。こ れが後世のメソポタミア研究に果たした役割は非常に大きい。

紀元前625年・ナボポラッサル、アッシリアからバビロンを奪回。新バビロニア(カ ルデア)建国。

紀元前612年・ナボポラッサル、メディア人と同盟を結んでアッシリア首都ニネヴェを攻撃、陥落させ、アッシリア帝国を滅亡させる。
その後、ナボポラッサルは大規模な建築活動や河川工事を行い始める。



紀元前604年〜紀元前526年・ナボポラッサルの息子であるネブカドネザル2世の統治する時代。彼は父の政策を受け継ぎ、新バビロニアの国力を高めると ともに、遠征を行い、捕囚を取り、その領土を広げていった。新バビロニア最盛期にはその支配は現在のシリア・パレスチナ地方にまで轟いた。
●この新バビロニアの時代、ナブー神はマルドゥーク神を退位さ せ、ほぼ完全にバビロニアの主神というう地位を得ていた。それはネブカドネザルという名にナブー神の名が含まれていることからもわかるだろう(この後には マルドゥークやネルガルの名を持つ王もいるが)。
しかしこの時代、既に神話が新しく書き足されるということはあ まりなく、この神が主神となった後の神話はあまり残されていない。

































紀元前553年〜539年・バビロニア最後の王ナボニドスの時代。結局、ネブカドネザル2世以降の王たちはほとんど業績を残さぬまま消えていった。









紀元前538年・アケメネス朝ペルシアによって新バビロニア滅亡。メ ソポタミア文化の終焉。
●多くの神々もまた、ここでその信仰を終えている。だが、ア ヌ、エンリル、エア、マルドゥーク、イシュタル(イナンナ)といった神々の持っていた要素はオリエントのみならず、後のギリシア神話の中にも息づいてい る。
また、主神であるナブー神への信仰はパルティア時代(紀元前 247〜227年)までは細々と続いたらしい

紀元前8000年頃・イラ ン高原に定住農業を行う人々が入植し始める。代表的な民族にはウル第三王朝を滅ぼしたエラム人がいる。

















































紀元前2000年頃・カスピ海周辺を遊牧していたアーリア人の一部がオリエント各地に侵入。












































































紀元前1350年頃〜紀元前1100年頃・オリエントに侵入したアーリア人の一群がイラン高原に入植開始。農業社会のイラン付近に牧畜と交易の文化をもた らす。

紀元前1300〜紀元前1000頃・
ゾロアスター教 の創始者ザラスシュトラ生まれる。ただしこの誕生年は言語比較上のもの。信者間の伝承では紀元前630〜紀元前553年頃。
また、ザラスシュトラは複数おり、ゾロアスター教の統率者が代々継いだ名前だという説もある。

創始者ザラスシュトラ同様、聖典「アヴェスター」の成立時期も よくわからない。唯一ザラスシュトラ自身の言葉が含まれる「ガーサー」が存在することから、やはりザラスシュトラの生年同様、紀元前1500年〜紀元前 600年辺りではないかとされる。また、教義の方向性に差異が現れることからも、その内容も時代によって書き換えられ、加えられてきた可能性は非常に高 い。






















 







紀元前8世紀頃・アーリア人の一部族、メディア人がディオケスという人物を中心に、メディア王国を形成。
●メディア人については現在は良くわからない部分が多い。彼らの国家が存続する間に、ゾロアスター教がどれ程浸透したのかはわからないが、とりあえずイラ ン・インド系(いわゆるヴェーダ系)の神々を祀っていたのではないかと思われる。

紀元前7世紀頃・イラン南西部にアーリア人入植。後のペルシア人。






















紀元前630年・ゾロアスター教の 創始者ザラスシュトラ生まれる。ただしこの誕生年 は伝承上のもの。実際の誕生年については、紀元前2000〜 紀元前 600年の間で諸説分かれる。


紀元前612年・メディア最盛期の王キャクサレス、バビロニアと同盟を組んでアッシリア帝国を攻略。
















紀元前585年・メディアとリュディアの戦争。日食の影響で引き分け。










































紀元前550年頃・メディアの属国であったペルシア人の小国家アンシャンの王キュロ ス2世がメディアに反乱を起こし、メディアを滅亡させる。アケメネス朝ペルシアの形成
●キュロス2世はゾロアスター教の庇護者であったとされる。ペ ルシアはこの時点で既にゾロアスター教を国教にしていたと思われる。


紀元前538年・アケメネス朝ペルシアが新バビロニアを滅ぼす。







紀元前525年・キュロス2世の息子、カンビュセス2世率いるアケメネス朝ペルシア、エジプトを制圧して、オリエント全土を統一。

紀元前522年・カンビュセス2世は国への帰路で死亡。メディア人司祭ガウマータらによるペルシアの実権の奪取などの混乱が起こるが、翌年、ダレイオス1 世がペルシア王に。
●徴税、司法行政の単位化を知事に任せるサトラプ制、各地の反乱への徹底的な弾圧、ゾロアスター教の主神アフラマズダを擁した祭儀所を建設して、メソポタ ミアの神々以上の神がオリエントに顕現したことのアピールなどなど、ペルシアをシステム的、武力的、思想、宗教的にも強化させてみせたダレイオス1世。彼 は本来キュロス王の一族の傍流の生まれでしかなかったのだが、その優秀さによって王の地位を得たとされる。つまり、上記の歴史的記述は、キュロス王権へ反 旗を翻し、王権を奪取したダレイオス(の賛同者)が自身の王権の叙位を正当化するために作り出したものである可能性が強いということである。

紀元前500年・小アジア西岸のイオニアが反乱を起こし、アケメネス朝ペルシアはこれを鎮圧。イオニアには、当時ペルシアとの関係が悪化していたギリシア の援助があり、これを原因にペルシアのギリシアへの侵攻が始まる。

紀元前492年〜紀元前449年・ペルシア戦争。アケメネス朝とギリシアの50年に渡る戦争。ダレイオス政権時代には紀元前492年のマルドニオスの侵攻 と紀元前491〜紀元前490年のダティスとアルプレネスの侵攻が行われるが、失敗。ダレイオスの死後その後継者となったクセルクセス1世は、紀元前 581年に3度目となる侵攻を起こし、首都アテネこそ占領するものの、サラミスの海戦などで敗北。その影響でペルシア国内でもサトラプたちの反乱の続発な ど、さまざまな混乱が起こる。





紀元前331年・ダレイオス3世統治時代のアケメネス朝ペルシア、アレクサンドロス 大王率いるマケドニア帝国によって滅ぼされる。
●アレクサンドロス大王は宗教に関しては寛容な姿勢であったた め、マケドニアの支配下にあってもゾロアスター教は存続したが、その侵攻とアケメネス朝崩壊 の混乱で、ゾロアスター教の聖典「アヴェスター」の大部分などは永遠に消失してしまった。そのため、ゾロアスター教においてアレクサンドロス大王は悪魔の 如く憎まれている。


紀元前323〜紀元前247年頃・アレクサンドロス大王の死後、その後継者争い(ディアドコイ戦争)が起こり、イラン地方も混乱する。一時期はマケドニ ア人によるセレウコス朝シリアがイランを制するも、その後イランでの権力を失った。結局、イランは紀元前247年にパルティア人によるアルケサス朝(パル ティア王国)の成立によって再統一される。
●アルケサス朝は宗教的にはゾロアスター教を信仰していたが、 ギリシ・ローマ文化を積極的に取り入れてもいた。他国の宗教に関しても寛容であったと思われ る。



紀元前147年・アルケサス朝、メディア地方を侵略。

紀元前141年・セレウコス朝シリアが支配するバビロニアを征服。

紀元前123〜紀元前87年頃・ミトラダテス2世の在位時代。メソポタミアからインダス川までを支配した、アルケサス朝の最盛期。

















紀元前53年・第1回パルティア戦争。ローマと交戦してアルケサス朝が勝利する。












紀元前39年・第2回パルティア戦争。アルケサス朝、ローマから奪い取ったシリア地方を奪い返される。

























紀元36年・アルケサス朝とローマ、和議を結ぶ。

53年・アルケサス朝、アルメニアを支配下に。

58年・アルケサス朝、アルメニアをローマに奪い返される。

63年・アルケサス朝、ローマ皇帝ネロとの間に和議を結ぶ。












113年・トラヤヌス皇帝率いるローマ、アルケサス朝に侵略開始

117年・アルケサス朝とローマの間に第5回パルティア戦争起こる。同年、トラヤヌス帝が死亡してローマはメソポタミアから撤退。





134年・アラン人によるアルケサス朝侵略

161〜166年・アルケサス朝とローマの間に第6回パルティア戦争起こる。

194〜197年・アルケサス朝とローマの間に第7回パルティア戦争起こる。その後、10年程後には第8回パルティア戦争。

220年・
・アルケサス朝の貴族アルダシール1世の反乱。

226年・アルダシール1世、アルケサス朝を滅ぼす。彼はアルケサス 朝の支配者だったパルティア人を排して、アケメネス朝の正当な後継者を名乗り、ササ ン朝ペルシアを建国する。


































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